モンゴル国の教育
1921年、いわゆる人民革命が成功し、チベット仏教は社会主義政権から無知蒙昧の象徴として目の敵にされた。
ソ連の学校教育制度が模倣され、10年制の普通教育学校(日本の小学校1年生から高等学校1年生までが同居したもの)が導入された。10年制とは言っても、1年生から5年生、6年生から10年生に分類され、前者は教科担当制を実施しながらも学級担任による手取り足取り、後者は学級担任制を実施しながらも教科指導中心の授業を実施した。クラブ活動が行われるのも、後者であった。хичээлийн эхлэгч(ヒチェーリーン・エフレクチ=授業のディレクター)と呼ばれる教頭も、前者と後者別々に置かれた。
一般的に、知育重視で、教師はひたすら板書をし、児童・生徒はひたすらそれをノートに書き写す授業(伝統的教授法)が展開された。ノートの消費量すなわち学習量と考えられ、板書量は教師の勤務評定にも使われた。
体罰の行使は、日常的に行われた。担任の言うことを聞かない児童・生徒は、黒板の前に引きずり出され、理由を詰問された。それでも担任に従わない者がいれば、校長が呼ばれ、校長直々に詰問された。
学校教育の責任は、学習指導に限定された。生活指導は家庭の責任とされ、日本で言う校外指導のようなものは、モンゴルの学校では責任外とされた。
関連項目: 受験 家庭教師